最高裁判所第一小法廷 昭和38年(オ)711号 判決 1966年2月03日
上告人 大平護謨株式会社
被上告人 国
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人清瀬一郎、同内山弘の上告理由第一点について。
所論は、本件物件につき上告会社および被上告人間に売買契約が成立したと認定した原判決には、公知の事実を無視し、条理に反して事実を認定した違法があるという。しかし、本件物件の売買交渉に関し、原判決(引用の一審判決を含む。)の確定したところによれば、被上告人国(海軍省)の契約事務を事実上担当していた同省艦政本部係官が、契約担当官同省経理局長の意図の下に、昭和二〇年五月一八日上告会社に対し税込代金四〇一万円で本件物件の売却方(被上告人国側からみれば買受方を意味するものと解される。)を申し込んだところ、代金額について合意が成立せず、同日付で売買契約が成立するには至らなかつたが、同省経理局長は、さらに同年八月一八日頃経理局員海軍主計少佐井狩甫をして上告会社に対し、契約成立の日を同年七月二八日、代金額税込四〇一万円で売却(前同)の意思表示を表明させたところ、上告会社代理人橋本豊次はその申込を承諾し、同少佐に対してその旨同省経理局長への伝達を依頼すべく原判示売買契約書その他の関係書類を作成して同少佐に交付し、一方、海軍省艦政本部会計部においては、通常は代金支払請求書が提出されると契約原簿と対照して、これに合致する請求書は関係係官の決済を経て支払事務担当者に引き継がれるが、合致しないものについては契約者に直ちに返却していたものであるところ、上告会社が昭和二〇年一〇月二三日に提出した代金四〇一万円の支払請求書は艦政本部会計課に受理され、関係係官の決済を経て代金四〇一万円の支払措置がとられた(しかし、右代金はその後臨時資金調整法に基づく政府特殊借入金として処理された。)というのであり、右認定事実に照らせば、本件売買契約については、被上告人国のした本件物件買受の申込を上告会社が承諾したものであつてその承諾の意思表示は昭和二〇年一〇月二三日以前に被上告人国の契約担当官である海軍省経理局長に到達了知し得たものである旨の原審の判断は、是認し得られ、従つて、右昭和二〇年一〇月二三日以前に被上告人国と上告会社との間に本件物件について売買契約が成立した旨の原審の判断は、相当であり、右認定判断の過程に所論のような経験則に違反する点は認められない。従つて、論旨は採用できない。
同第二点について。
本件売買契約がなされた当時施行の旧会計法(大正一〇年法律四二号)および会計規則(大正一一年勅令一号)のもとにおいては、国と私人間の私法上の契約についても、特別の定めもしくは特段の事情のないかぎり、双方の合意によつてこれが成立するものと解すべきであり、従つて、本件売買契約について、被上告人国および上告会社間に契約書が作成されなかつたとしても、これを以て契約の成立を妨げることにはならないとする原審の判断は相当である。論旨は、独自の見解に立つて、原審の適法にした判断を非難するに帰するものであつて、採用できない。
同第三点について。
原判決は、所論のように上告会社および被上告人国間の本件売買契約が終戦前に成立したものと認定しているわけではなく、売買契約は終戦後に成立したものであつても、すでに目的物件が戦争中に引渡を了している以上、たとえその代金額の決定が終戦後になつても、臨時資金調整法施行令九条の六前段により右売買代金として支払われるべき金額につき政府特殊借入金が設定されたことは違法とはいえないと判示しているのであつて、原判示事実関係を同法の立法趣旨に照らして考察すれば、右判断は正当として肯認するに足りる。
さらに、本件売買代金について右のように政府特殊借入金が設定されたことが上告会社に通知されたことは、原判決の確定したところであり、右通知がなされている以上、上告会社としては政府特殊借入金証書が交付されなかつたとしても戦時補償特別措置法一四条、一項により所定申告書を所定期間内に提出すべき義務を負うものというべきであり、これと同趣旨に出た原判決の判断もまた相当である。従つて、所論違憲の主張も前提を欠くに帰するから、論旨は採用できない。
上告代理人新家猛、同坂野滋、同瀬尾信雄の上告理由第一点について。
所論の理由のないことは、前記上告代理人清瀬一郎、同内山弘の上告理由第二点の主張について説示したとおりであつて、所論引用の当裁判所第三小法廷の判決は国が当事者となり売買等の契約を競争入札の方法によつて締結する場合に関するものであつて、本件とは事案を異にし適切ではない。従つて、所論は採用できない。
同第二点について。
原判決の確定した事実関係に照らせば、上告会社および被上告人国間の本件売買契約がおそくとも昭和二〇年一〇月二三日以前に成立したものである旨の原審の判断が首肯するに足りることは、前記上告代理人清瀬一郎、同内山弘の上告理由第一点に対する判断に説示したとおりであり、所論契約原簿に仮に契約書が編綴されていなかつたとしても、右結論に影響するものとは認められない。論旨は、るる述べるけれども、ひつきようするに、原審の認定しない事実を主張して、原審の適法にした事実認定判断を非難するに帰するものであつて、採用できない。
同第三点について。
被上告人国において上告会社から本件売買契約の目的物件を上告会社の意に反して強奪したことは原審の認定しないところであり、原判決によれば、上告会社は昭和二〇年五月一八日被上告人国に対して右物件を売り渡すことを代金額の決定を除いて一応了承し、右売買契約の完結を予期して同年同月二〇日右物件の引取が行なわれ、その後代金額について両者間に交渉が継続された結果、代金額を金四〇一万円と定めて、おそくとも昭和二〇年一〇月二三日までに売買契約が成立したというのであつて、右認定判断は原判決(引用の一審判決を含む。)挙示の証拠関係に照らして、首肯しうるところである。そして、このように終戦後に成立した売買契約であつても、すでに代金額の点を除き当事者間に売買交渉が一応まとまつてその完結を予期して戦時中に売却物件の引渡を完了している場合には、右売買代金につき政府特殊借入金を設定することは臨時資金調整法の立法趣旨に照らして違法とはいえないことは、前記上告代理人清瀬一郎、同内山弘の上告理由第三点に対する判断に説示したとおりである。従つて論旨は採用できない。
同第四点について。
論旨は、原判決が戦時補償特別措置法を適用したことを以て憲法二九条、三〇条に違反するというが、その趣旨は、要するに、本件売買代金債権をなんらの補償なくして消滅させたことについてこれを違憲というにあるところ、本件売買代金債権は、原判示のように、戦時補償特別措置法一四条一項所定の申告がされなかつたため、同法の適用上当然に右申告期限の経過した時、すなわち新憲法施行の日(昭和二二年五月三日)前に消滅したものというべきであつて、このように、一定の法律上の効果が旧憲法に基づく法律の適用上当然に旧憲法施行当時においてすでに消滅し、新憲法施行後にわたつてまでその効果が存続せしめられない場合にあつては、右消滅を規定する法律自体が新憲法に違背するか否かを判断する必要のないことは、当裁判所の判例(昭和三四年(オ)第八二号同三七年一一月六日第三小法廷判決、民集一六巻一一号二一九七頁参照)とするところである。
なお、論旨は、本件戦時補償特別税の課税処分時を云為するが、右主張にかかる事実は原審においてなんら主張判断を経ないところであり、仮に右課税処分の手続のなされた時が所論のとおり新憲法施行後であつたとしても、右課税ならびに徴収処分の手続は、すでに戦時補償特別措置法によつて消滅している本件売買代金債権について、いわば事後処理として賦課徴収手続がなされたにすぎないものというべく、戦時補償特別措置法が右代金債権を消滅させたことについてこれを違憲となし得ない以上、右消滅した代金債権についての事後処理の手続を違憲となすことはできない。従つて、論旨は採用できない。
同第五点について。
論旨は、戦時補償特別措置法は旧憲法二七条に違反するものであり、従つて右法律を適用した原判決もまた旧憲法二七条に違反するものであるという。しかし、旧憲法下において制定施行された法律が旧憲法に違反するかを実質的に審査する権限は憲法八一条によつても裁判所に認められていないものと解すべきことは、当裁判所の判例(昭和二六年(オ)第七九九号同三四年七月八日大法廷判決、民集一三巻七号九一一頁参照)とするところであり、右判例の趣旨に従えば、戦時補償特別措置法が所論旧憲法二七条に違反するかどうかは当裁判所において判断をなし得ないところである。従つて、戦時補償特別措置法を適用した原判決を以て旧憲法に違反する旨の論旨の理由のないことは、明らかなところである。論旨は、これと異なる独自の見解にすぎないから、採用するに足りない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 長部謹吾 入江俊郎 松田二郎 岩田誠)
上告代理人清瀬一郎、同内山弘の上告理由
第一点原判決は重大かつ明白なる公知事実を無視し、また顕著なる条理に違反した違法の判決である。
原審は自ら事実並に理由を記することを為さず、その主要なる部分に於て第一審判決に依存しておるのであるから、上告理由の陳述に先だち、第一審判決の当該部分により本件の筋途を挙示するの必要がある。
本件の上告会社は、大東亜戦争終結前、神戸市においてゴム再生の事業を営んでおつたのであるが、昭和二〇年五月廿日、多数の海軍々人、軍属が大挙上告会社工場に到り同会社の抗議を無視して同工場にあつた会社のゴム製造機械並に附属品一切(訴状に別紙目録として挙示したもの)を持ち去つた。(実はその前より艦政本部よりこの機械を買上げたしとの申出があつたが、代金不調のため未だ売買契約が成立しておらないのに出先軍人等が軍の威力を籍り高圧的に右機械等を取り外して持ち去つたのである)。爾来、幾多の経緯はあつたが、今に至るまで売買契約は完結せず、この機械の所有権は原告にあるのであるから、その現物返還を求める。しかし、もし戦後の混雑等により現物の所在が不明で返還が出来ぬならば、現物に代る返還時の代価二億三千二百十三万四千六百九十円を支払えというのが本訴の主旨である。被上告人、即ち国の代表者は、これに対し、上告会社代表取締役と国との間には昭和廿年五月十八日に本件機械と代金四百一万円とするの売買契約があつた。かりにこの事実が認められないとするも右の昭和二十年五月十八日に上告会社代表者は代金額は後日折衝の上決定するということで、売買契約に応じた。(この応しの意味必ずしも明ならず)
そして同年八月十八、九日頃艦政本部から大阪に出張した契約事務担当官と上告会社との間において代金を四百一万円とする合意が成立したと主張し、上告会社の本件機械の所有権を否認したのである。それ故本件第一審に於ても第二審に於ても上告人会社と国との間に真に本件機械の売買契約が成立したか否かが根本的の争点であつた。
この争点につき原判決は自らの観察を示さず、又証拠の取捨を為さず専ら第一審判決を引用しておるのである。第一審判決は甲第一号証の一、二、乙第一号証ないし乙第八号証の各一、二、乙第九号証、証人橋本豊次、井狩甫、尾崎尚平、牧野良三、中川末吉、觜崎富三の証言等を総括、援用して、次の事実が認められるとしておるのである。(言うまでもなく、原告というは上告会社、被告は国。引用文中の圏点は後に更に引用の便宜のため、上告代理人が付したもの)。
「すなわら、昭和二〇年三月ころから、当時の海軍省艦政本部においては、兵器用の特殊ゴム製造のため、原告会社(当時資本金五〇万円)に対し、ゴム製造用機械の売却方を交渉したが、同会社はこれに応じようとしなかつたので、右契約事務を事実上担当していた艦政本部会計課においては、同年五月一八日ごろ、原告会社社長尾崎周平を電報で呼び寄せ、さらにその交渉を進めたところ、周平としては、国家総動員態勢下でもあり、あくまでこれを拒否するときは強制的に買収されるおそれもあると考え、やむなく、本訴物件の売却に応ずることとし、そのころ訴外横浜ゴム株式会社社長中川末吉の出した右物件及び同物件所在工場の営業権等の査定価格約一、〇〇〇万円ならびに売却代金に対する課税率約六割等の事情を勘案し、代金は税ぬき代金四〇一万円とされるよう申し出たが、艦政本部は税込代金四〇一万円を譲らず、空襲被災の危険もあり、代金額の決定もみないままに同年六月上旬ごろ原告会社に引き揚げた。一方、艦政本部から本訴物件の引取方を指示された現地軍は、同年五月二〇日ごろ、右物件引き取りに原告会社工場に出向いたところ、同会社から未だ売買交渉の結果について社長からなんら報告を受けていないからと拒否され、結局現在投入中の原料が製品化されるまでの三日間引き取りを待つということで一旦帰り、その三日後の同月二三日ごろ、ふたたび大挙して引き取りに出向き、同月末日ごろまでの間に右物件全部を他に搬出してしまつた。その後、原告会社は、艦政本部から同年八月一六日に係官を派遣する旨の通知を受けたが、当日来訪がなかつたので、同月一八日ごろ(注、同月十五日終戦)原告会社相談役訴外橋本豊次を代理人として、当時大阪にあつた艦政本部の連絡先に行かせ、契約事務を事実上担当していた海軍省艦政本部員兼海軍省経理局員海軍主計少佐訴外井狩甫に面接せしめたところ、同少佐から、国内が動揺し軍もなくなつてしまうときに接渉を長びかせてもよくないから代金四〇一万円で売つたらどうか、終戦前契約したことにして契約日を同年七月二八日とする契約書を提出すれば本省に帰り代金は直送するよう取りはからつてやる、といわれ、その様式を示されたのでこれに基き、契約日を同年七月二八日、代金四〇一万円と記載したものに原告会社の記名、社印および社長印を押した契約書案(甲第一号証の一の原本、注甲第一号証の一、二は本引用の次に表示する)および代金送付先を訴外株式会社安田銀行神戸支店の原告会社当座口とするよう依頼した書類その他関係書類を作成して、同年八月一九日ごろ井狩少佐に対しこれを海軍省経理局長に伝達されるよう依頼した。(以下に於てこの部分を第一圏点部分ということあるべし)、しかるに、その後、右経理局長の記名押印にかかる契約書の交付はもちろん代金の支払もなかつた。そこで、原告会社は同年一〇月二〇日ころ、前記橋本豊次をして艦政本部の残務担当者等に右の点をただしめたところ、改めて代金支払請求書を提出するよう指示されたので、同月二三日ごろ、甲第一号の一に基き同日付代金四〇一万円の支払請求書を作成提出したところ、これが受理され、その請求書は艦政本部会計部長等関係係官の決済を得たうえ、昭和二一年五月三一日被告主張のように右代金は政府特殊借入金として処理された。当時、契約担当官は海軍省経理局長であり、井狩少佐には契約締結等についてなんら代理権はなかつたことが認められる。証人尾崎尚平、橋本豊次(第一、二回)原告会社代表者尾崎周平本人の各供述中前認定に反する部分は直ちに採用しがたい。しかして、井狩少佐らの前記売買についての交渉等が契約担当官である海軍省経理局長の意図に基いたものであることは証人井狩甫(第一、二回)、觜本富三の各証言によりこれをうかがうことができる。
以上の諸事実を勘案すると、海軍省における契約事務を事実上担当していた同省艦政本部係官は、契約担当官である同省経理局長の意図のもとに、昭和二〇年五月一八日、原告会社に対し、税込代金四〇一万円で本訴物件の売却方を申し込んだところ、原告会社代表取締役社長尾崎周平は代金額の点を除き一応これを了承したので、売買契約は成立したものと簡単に考えて右物件を引き取つたが、当時、代金額について合意が成立せず、その後においても売買の接渉をしていることなどの前記事実からすれば、同日被告主張の売買契約が成立したものとはとうてい考えられない。しかしながら、前記事実からすれば、海軍省経理局長は、同年八月一八日ごろ、ふたたび、契約書作成等の事実上の事務を担当していた前記井狩少佐をして、原告会社に対し、契約成立の日を同年七月二八日、本訴物件の代金を税込金四〇一万円とすることでその売却方(注、買受方の誤記か)、申込の意思表示を表明せしめたところ、原告会社の代理人橋本豊次は、その申込を承諾し、同少佐をしてその旨海軍省経理局長に伝達方依頼すべく、前認定の契約書案その他関係書類を作成し、これを同少佐に交付したものであると解すべきである。(以下この部分を第二圏点部分という)しかして証人觜本富三の証言によれば、海軍省艦政本部会計部においては、代金支払請求書が提出されると、完備した契約関係書類をつづつた契約原簿と対照し、これに合致した代金支払請求書は関係係官の決済を経て支払事務を担当する海軍省経理局に引き継ぎされるけれども、合致しないものについては契約者に対し直ちに返却していた事実が認められるところ、原告が昭和二〇年一〇月二三日に提出した代金四〇一万円の支払請求書は艦政本部会計部に受理され、関係係官の決済を経て代金四〇一万円の支払措置がとられたこと前認定のとおりである。これらの事実からすれば、他に特段の事情も認められない本件においては、少なくとも昭和二〇年一〇月二三日以前において、右承諾の意思表示は海軍省経理局長に到達了知し得たものであることが推定される。(以下この部分を第三圏点部分という)したがつて、本訴物件についての売買契約は、さらに、原告主張のような契約書の交付もしくは受諾の通知の有無いかんを問わずここに成立したものというべく、被告はこれにより右物件の所有権を適法に取得したものといわざるを得ない。」
上記引用最初の圏点部分に引用の甲第一号証ノ一及び同号証の二の全文は次の如し。而して甲第一号証の一と二との間には契印ある事に注意されたし。
(甲一号証の一、二は印刷省略)
以下本上告理由の冒頭に於て原判決には重大且明白なる公知事実を無視し、また顕著なる条理に違反しておると指摘した箇条を説明しよう。
原判決の引用した第一審判決は井狩少佐は自ら海軍を代表して契約を締結する権限はなかつたが、その権限を持つた海軍経理局長は昭和廿年八月十八日右井狩少佐をして上告会社に対し、契約日を同年七月二十九日代金を税込四百一万円とする買受申込を為さしめ、会社代理人橋本豊次は之を承諾し、その承諾の意思の伝達方を井狩に依頼すべく前記甲第一号証の一、二、等を同少佐に交付したものと認定しておる。注、引用文中第二圏点参照。(この認定には無理がある。その井狩説諭勧告は、契約成立の為めの努力であつて、法律的には「申込の誘引」に過ぎぬ。同少佐は上告会社をして政府に対し機械を金四百一万円にて売渡すことの申込の形を取らしめ、これに対し海軍省経理局長が承諾を為す方式で契約締結を完結せんとしたことは極めて明白である。しかし、素直にその形式であるとすれば承諾に該当するもの(経理局長捺印の甲第一号の一のカウンターパート)が神戸市の太平護謨に到達しなかつたことが余りにも明白であつて、契約未成立と結論せざることを得ぬこととなる、そこで第一審判事は事柄を逆に持つて行き、甲第一号一、二を承諾の意思表示と見、これが経理局に届いたことを判示さえすれば契約成立、原告敗訴の判決が書けると考えられたものであるに相違ない、この点は当審での上告理由とはしないが全体としての事件御審理の上に於て必ず御着眼あらんことを乞う。)既に上告会社の承諾の意思表示の伝達の為め甲第一号証の一、二が作られたものと見る以上、この意思表示が海軍省契約担当官(即ち経理局長)に到着した事を証明せねば契約の成立を認定することが出来ない。そこで原審の引用した第一審判決は圏点三の部分の如く、
「少なくとも昭和二〇年一〇月二三日以前において、右承諾の意思表示は海軍省経理局長に到達了知し得たるものであることが推定される。したがつて、本訴物件についての売買契約は、さらに、原告主張のような契約書の交付もしくは受諾の通知の有無いかんを問わずここに成立したものというべく、被告はこれにより右物件の所有権を適法に取得したものといわざるを得ない。」と説明しておるのである。これが果して条理にかなつた判断であらうか。
(一) この判断には右引用文中「他に特段の事情も認められない本件においては云々」ということを前提としておる。しかし、本件に於ては果して特段の事情がなかつたであろうか。
昭和二十年十月二十三日より二十一日前である同年九月二日には連合国と日本国との間に降伏文書が調印せられ、連合国総司令官は同日ただちに日本の陸海軍の解体を命じた。すなわち同日限り海軍省もなく、艦政本部もなくなつた。これこそ日本人中たれ独り忘れる事の出きない顕著な公知事実である。その前後にかけての陸海軍省並に軍関係の上を下えの混乱は実に名状すべからざるものがあつた。軍はなくなつても残務整理ということはある。残務は其後しばらくして復員局で行うことにした。かかる事情の下で残務が正確に整理せられざりしことはあり得ることである。これは一つの特段事情であるまいか。本件が昭和二十九年出訴せられてから、今日に至るまで九年間国の代表に於て如何に調査されても、甲第一号の一、二の原本と認むべきものは出て来ない。
井狩少佐は本件で、一、二審を通じて四回証人として出廷したが、甲第一号の一、二の原本に当るものを経理局長に提出して橋本の伝達事項を報告したとの証言は出来なかつた。そればかりではなく、昭和三十年六月二十三日の第一審法廷の証人尋問に於て、原告代理人が
「それが(甲第一号の一、二の原本)神戸へも行つておらず、本省にもそのひかえがないのです、(注、井狩証人は他の場所でかかる書類は控の必要上通常七、八通作ると証言しておる)。ゴタゴタで未処理に終つたというようなこともありえませうか」との問を発したのに対し、井狩証人は
「絶対にないとはいえないと思います」
と答えておるのである。
即ち第一審判決が甲第一号の一、二を経理局長に提出の機会があつたであろうと推定する昭和二十年十月二十三日迄の間には、(1) 海軍省は解体した。(2) 甲第一号の一、二の原本も控も出て来ない。(3) これも経理局長に伝達方依頼された井狩少佐は、これを局長に提出して、その旨を伝達したことを証言し得ない。(4) しかのみならず、終戦のゴタゴタでその事が未処理に終つたということが絶対にないとは言えないと証言する。---かかる数個の特殊事情、そのうちには終戦による官庁事務、わけても軍部の混乱というが如き重大公知事実あるに拘らず「他に特段の事情」が認められないというのは全く条理を無視するものである。斯の如きは裁判官の事実認定権内であるというて納まるべきものではない。
これが本上告理由冒頭の公知事実を無視しまた条理に反すと言つた第一の事由である。
(二) 原判決の引用する第一審判決の前記三圏点部分には、更に法理に違反したところがある。(理由不備とも見られる)。
原審の引用する第一審判決は昭和二十年八月十八日大阪市に於ける井狩少佐の上告会社代理人橋本豊次に対する国内が動揺しておる時に接衝を長びかすべきでないとの説諭を含んだ勧告(第一圏点部分)を契約担任官海軍省経理局長よりの機械買受の申込と視、その翌日ごろの橋本豊次の甲第一号証の一、二を以て、この申込に対する承諾の方法と見立て、橋本はその経理局長への伝達を井狩少佐に依頼したと解しておる。さすれば本件の買受申込、売渡承諾はともに民法に所謂、隔地者間の意思表示である。
かかる隔地者間の意思表示は相手方、本件橋本の意思表示について言えば海軍省経理局長(海軍省廃止の結果復員局となつたとすればこれに代る官吏)に現実に到達したる時よりその効力を生ずるわけである。(民法第九七条)。
この理は我国民法施行後長年に亘り実行され何人も了解しておる法理である。故に原審の引用する第一審判決が本件売買契約が成立したことを断定せんとすれば、この意思表示(甲第一号証の一、二に表示せられたる)が相手方に到達したる事を確定せねばならぬ。尤も日附は何月何日と限定し得れば最も確実であるが、それが不能であれば何日頃とか、何日より何日迄というように説示しても足る場合もあろう。又承諾通知を発したる日から何月何日迄というて妨げない場合もあろう。その表示方は兎もあれ、承諾通知が現実に到達した事の断定(認定というも可)がなくてはならぬ。単なる想像か。推測だけでは契約成立の事実認定とはならぬ。然るに原判決の引用する第一審判決は第三回圏点の個所に「……少くとも昭和二〇年一〇月二三日以前において、右承諾の意思表示は海軍省経理局長に到達了知し得たものであることが推定できる」
と説示しおるのみである。
尤もある事実が証明せられたとき通常その事実と結びついた他の事実を推定(コンクルード)することは事実認定の一方法として認められることであろう。
しかし本件はその場合でもない「到着了知し得たもの」であることを推定したのである。ただ可能性を言うに過ぎぬ。必然統合の推定ではない。可能性を言うならば井狩少佐は昭和二十年八月廿日頃には帰京しておるのであるから、八月廿日の午後でも廿一日の午前でも本件の伝達はなし得たもの(可能)である。
豈、特に十月二十三日以前と限る必要もない。ただ第一審判決が経理局長に承諾の意思表示を伝達し得たと推定して、この意思表示が到達したと同様に解し、売買契約が効力を発生したと飛躍し、結論することは常識ある者の到底納得し得ざるところである。これ本上告理由冒頭にいう条理違背の第二事由である。
原判決はこれ等の理由により必ず破棄せらるべきものと信ずる。
第二点原判決の引用する第一審判決は戦前戦後にわたり行われたる顕著なる行政慣行を無視し、且条理に違反した不法の判決である。
第一審判決は理由末段に於て次の如き説明を加えておる。
「もつとも、原告は、当時施行されていた会計規則に基き国と民間人の契約は要式行為であるのにその手続を経ていないから被告国との間の本件売買契約は成立していない旨を主張するけれども、ほんらい売買契約は国と民間人との間のそれであると否とを問わず口頭上の意思表示の合致により成立するものと解するのが相当であり、同規則(大正一一年勅令第一号)第八五条、第八六条が契約書の作成およびその送達を定めているのは、契約書の作成交付をもつて契約の成立要件とする趣旨のものではなく、単に経理事務等の便宜上後日の証拠に資するため契約書の作成を命じているに過ぎないと解される。したがつて、原告の主張するようにその作成交付がないからといつて、前認定の合意の効力を否定すべきではなく、また、代金支払の有無は契約の成否を左右するものでもない。したがつて、原告の右主張は採用の限りでない。」と、
抽象的に旧会計規則の規定を見れば第一審判決の如き説も立ち得るであろう。しかし本件に於ては海軍省経理局長は当時行はれた会計規則第八十五条、第八十六条により文書による契約を為さんとしたのである。甲第一号証の一にはその右肩上端に「様式第一」と記し海軍省常用の書面様式の一つを用いんとしたのである。これを使用せんとしたのは橋本豊次でもなく尾崎周平(社長)でもない。海軍省経理局長である。而して契約本文に於ても「海軍省経理局長山本丑之助(以下甲ト称ス)ハ太平護謨株式会社取締役社長尾崎周平(以下乙ト称ス)ト物品売買ニ関シ左ノ通リ契約ヲ締結シ之ヲ証スルタメ本書二通ヲ作成シ双方記名調印シテ各自其一通ヲ保有ス」と記し此書類に由る契約なることを謳い、年月日(これは特に日附遡及、七月二十八日とす)、を記入した次に、「契約担任官(甲)海軍省経理局長山本丑之助」と表示し、その名下に山本丑之助局長の官印を捺するやに予定されておる。これ当事者、わけても海軍側に於て本件を書面契約とせんとしたる事実を物語るものに非ずして何ぞや、同じく日本国の官庁が買入れる物であつても食物等消耗品や金額の少なるものについては口頭契約も、あり得ることであるが、金額四百一万円というが如き又幾多の附属品明細の表示を要する機械の買入れについては、書面を用うることは戦前戦後を通じて我国官庁に於て厳守せられたる顕著なる行政慣行である。その上会計規則に於て前記第八十五条、第八十六条の存するものがあり、実際に書面に依らずしてかかる巨額の機械購入を為すことは会計検査院の認めるところではない。すなわち本件に於て海軍経理局長(又は復員局に於て之に代る者)の記名捺印なきことは、本件契約の成立せざりしことを物語る重大事由である。原判決並に第一審判決の此の部分もまた顕著なる慣行を無視し且、条理に違背した不法を侵すものである。
第三点原判決はその末段に於て本件機械は既に戦争中引き取られたる以上代金が戦後に決定せられたる場合に於ても臨時資金調整法施行令に基き、支払金額を政府特殊借入金とし戦時補償特別措置法によりてその全額に課税し機械旧所有者をして遂に一銭の代償を得しめざることを是認しおる。これは、(1) 一方に於て理由に矛盾があり、(2) 他方に於て憲法の主旨に反した判断である。
(一) 原判決はその自ら判断を下した部分に於て
「なお、本件のように、売買の目的物件が既に戦争中引取られている以上、たといその代金額が終戦後に決定せられた場合においても、臨時資金調整法施行令に基き、売買代金として支払うべき金員を政府特殊借入金として設定することは、代金が終戦前に決定せられていた場合と同様、これを違法とするなんらの理由がない。そして、政府特殊借入金となつた右代金が現実に支払われなかつたのは、戦時補償特別措置法によつて課税の対象となつて、その債権金額が消滅したためであるから(この点は三に説明する)、右代金が現実に支払われなかつたから本件売買契約を解除するという控訴人の主張は採用することができない。」
と説明したのである。
然し乍ら、原判決中第一審判決理由が引用したる部分中上告理由第一点に引用した第三圏点の部分に於ては本件契約は甲第一号証の一、二到達可能な時に成立したものと見ておるのである。
原判決が引用した第一審判決は本件では代金額だけが終戦後に決定せられ売買は戦前に成立したものとの見解は取つておらぬ。第一戦争末期に本件機械につき交渉をつづけておつた井狩少佐は契約締結の権限はなかつたのであると認めておる。(第一回圏点の次の短かき圏点参照)
それ故売買が終戦前成立し、その目的物も戦争中引取られ、ただ代金額だけ戦後に決定したものであると為す原判決中原審執筆の部分は原判決が引用してその判決の一部と看做しておる圏点第三の部分と矛盾牴触しておる。
(二) 斯の如き矛盾牴触の結果原審は更に進んで昭和二十一年五月三十一日の金四百一万円を以て債主を上告会社とする政府特殊借入金への振替措置を是認した。
この振替措置はあつたが(訴訟中証拠発見)、特殊借入金証書は上告人会社には交付されておらぬ。(原判決正本六枚目裏八行、目)。従つて上告会社より戦時補償特別税法第十四条第一項による申告ができる筈もなく、これがため金四百一万円の特殊借入金債権は全額につき課税徴収せられ、今日に至るまでこれにつき一銭の補償をも得ておらぬ。本件はこの点が主たる争ではなかつたのであるが被上告人より上告人の有すべかりし代金は既に戦時補償特別税として全額徴収せられて消滅したとの抗弁が出た以上、本件の如き戦後に於て政府と民間との間に成立した債権につき特殊借入金振替の措置を為したのが妥当であつたか。否かについても慎重に研究されねばならぬ。その証書さえ交付せざるものに全額課税は合法であるか否かを更に親切に検討すべきであつた。
原審はその労を惜み一方第一審判決を鵜呑みにし、他方その引用する第一審判決と矛盾する理由を付し上告会社社長の生涯孜々営々として築き上げたゴム工場機械を無債にて国が取り上げた結果に陥らしめた。これ実に憲法第二十九条に反するの判決であるといはなければならぬ。原判決はこの理由よりするも正に破棄せらるべきものである。
以上
上告代理人新家猛、同坂野滋、同瀬尾信雄の上告理由
(前略)
第四点原判決が戦時補償特別措置法(昭和二一年一〇月一九日法律第三八号)を適用したことは、憲法第二九条、第三〇条および第八四条に違反する。
一、原判決は、本件売買代金債権につき、政府特殊借入金が設定されたことを前提とし、右借入金は、戦時補償特別措置法第二条により戦時補償特別税として課税されたので消滅したことを認定し、また、「仮に本件代金を政府特殊借入金とすることが違法であるにしても、もともと本件代金は同法第一条第一項第二号後段によつて戦時補償特別税として課税の対象となるものであるから右課税を以て無効であるとはいえないわけである」と述べている。
しかし、同法は以下に述べる各理由により憲法に違反する法律であるから適用することは許されない。従つて、前記課税処分は無効であると信ずる。
二、同法における戦時補償特別税は、税の名を冠しているが、その実、憲法第三〇条の「納税」、憲法第八四条の「祖税」のいずれにも該当しないから税でない。即ち、戦時補償特別措置法は、第二次大戦の結果生じた国の負担すべき一定の債務を戦時補償請求権となし(同法第一条)、同法施行の際現に同請求権を有しまたは同法施行前に同請求権について決済を受けた者に対し、その請求権の価格を課税価格として戦時補償特別税を課することとした(同法第二条)ものであるが、その税率は百分の百(同法第一三条)即ち全額徴収である。
国は、自らの選んだ誤まれる国策に基き国民を駆り立て第二次大戦を遂行した結果、国民に対し、膨大な債務を負担するにいたつたが、これら債務に対する補償返済は、すでに特殊預金や政府特殊借入金の形になつているものも含めて戦時補償特別税を課税するという形式で一切を打切ることにした。これが同法の立法趣旨であり、その実質は、全く私有財産権の収用である。
そもそも税とは、国または地方公共団体がその統治権又は自治権に基いてその財政的存立を全うするため収入の目的を以て賦課するものである。しかるに、同法は単に支払うべきものを支払わないで済ませるということを目的とする点において、積極的に収入を得る目的を以てする税本来の意図を逸脱しているのであつて、税率を百分の百と定め、かつその納税手続につきいかに詳細な規定を設けようとも、その実質が私有財産権の収用にある以上、いかなる意味においてもこれを税ということはできない。税にあらざるものを税の名を籍りて徴収することを内容とする本法は、国家権力に基く課税作用とは全く別箇の収用作用を租税の形式をもつて執行しようとするものであつて、憲法第三〇条の納税義務の対象たる税ではなく、同法第八四条の法律を以て定められた租税に該当しないものというべく、戦時補償特別措置法は、右憲法各条に違反するから無効であり、右措置法に基く徴収は税の徴収としての効果を生じないものと言わざるを得ない。
三、同法が、私有財産権の収用を目的とする法律であることは前述したとおりである。
而して、私有財産権については、フランス人権宣言が「所有権は不可侵かつ神聖な権利である」ことを宣言して以来、その不可侵を保障することが近代資本主義国家憲法の核心となつており、日本においても、明治憲法は「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」(第二七条第一項)と定め、現憲法もまた「財産権は、これを侵してはならない」(第二九条第一項)と規定してこの旨を宣言している。
およそ資本主義体制をとる国家においては、財産権は、私人がその生存を維持するために必要不可欠なものにして、人間の本質に根ざす「侵すことのできない永久の権利」である。即ち憲法以前において、既に人間の本質に内在する人類普遍の-いわば自然法により、造物主より与えられた-天賦不可侵の基本的人権である。憲法はこのことを第一一条および第九七条において宣言し、この国民の権利については、公共の福祉に反しない限り立法その他の上で最大の尊重を必要とする(同法第一三条)のみならず、右基本的人権を無視した法律はその効力を有しない(同法第九八条)としたのである。そして、公共の福祉のため已むを得ずこれを制限する場合においては、必ず正当な補償をなすべきこととし(同法第二九条第三項)、経済的実質的価値の形においてではあるが、財産権が保障されなければならないことを明らかにしている。
しかるに、戦時補償特別措置法は、前述の如く一定の債務の支払を打切るためその債権全額を税として徴収する点において、財産権の収用そのものを内容とするにかかわらず、何らの補償措置を定めておらないことは、誤れる国策による戦争責任を、何ら罪なき国民に税の名を籍りて転嫁せしめるものというべく、かくのごときは、私有財産権否認の思想にもつながるのみならず、刑罰権の行使としての罰金、没収と異るところがなく、営々四〇余年を費して心血を注いだ工場の時価二億余円にのぼる機械設備類一切を一挙にして失なうにいたつた上告人は、その損失、被害を甘受しなければならない合理的理由を発見することができない。従つて、単に財産権の収用のみを規定してその補償につき何等の措置も講ぜられていない同法は、憲法第二九条に違反するが故にその効力なく、同措置法に基く課税処分もまた効力なきに帰するものと言わざるを得ない。
四、新憲法下における裁判所は、「一切の法律、命令又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する」(憲法第八一条)権能を有するものであるから、法律適用の前提をなす具体的事件発生の時期が、新憲法施行後であるか否かは、右審査権の在否に何等の影響も及ぼすものではない。しかし、仮りに然らずとするも、本件における具体的事件は、戦時補償特別措置法による課税処分であり、右処分は新憲法施行後になされたものであるから、上告人は右処分の根拠法律たる同法の規定が新憲法の違反することを主張してその判断を求めうるものであり、以下これを明らかにする。
同法は、第二次大戦後新らしく導入された申告納税制度を初めて全面的に採用したものである。即ち、納税義務者は、昭和二一年一一月三〇日までに申告書を政府に提出しなければならない(同法第一四条一項、同法施行規則第二五条第一項)が、納税義務があると認められるものが前記の申告書を提出しなかつた場合には政府は自らの調査によりその課税価格を決定し(同法第二七条第一項)、これを納税義務者に通知し(同法第二八条第一項)、その決定通知をなした日から一箇月後を納期限とし、その決定による税額の戦時補償特別税を徴収する。(同法第二九条第一項)つまり申告のあつたときは、申告時に申告限度額につき確定的に具体的租税債務が発生するが、申告の行なわれなかつたときは、税務官庁の決定という行政行為によつて初めて具体的に租税債権として確定し、納期限の到来とともに強制徴収可能な債権となるわけである。同法の施行と同時に、右課税要件を充足する政府特殊借入金の債権者と国との間に、抽象的意味における租税法律関係が発生すると一応言い得るかもしれないが、それは、法律が具体的な姿をとつて現われる前段階の主観的関係であるにとどまり、この段階では未だ債権者は具体的履行義務を負担せず、国家は強制徴収力を有しないのであつて、前記関係は、いわば租税債権確定までの複雑な発展過程を説明するための便宜上の仮設的呼称に過ぎないものと言うべきである。従つて、その後前記「決定」により始めて租税債権が確定するのであるから、この決定時を以て課税処分時となすべきである。
ところで、日本銀行国債局の厚生省引揚援護局次長に対する昭和三〇年二月一日付回答書(乙第一号証ノ二)によれば、本件戦時補償特別税の納税年月日は昭和二三年四月一〇日となつているから、決定通知日より一箇月後を納期日とする旨の同法第二九条第一項の規定により逆算すれば、右決定は昭和二三年三月一〇日になされたものと認めることができる。従つて右課税処分当時新憲法が施行されている以上、同法の違憲を主張しうるのである。
五、仮りに、右課税処分時が決定時ではなく旧憲法施行時までさかのぼるとしても、右処分による法律上の効果が納期以後の現実的給付義務の発生にかかり、新憲法施行後もなお右効果が存続しているのであるからその処分の根拠法律たる戦時補償特別措置法の違憲を主張しうる。たまたま右処分が旧憲法下になされたものであるからという形式的理由を以て、右処分に基く法律効果が実質的には新憲法施行後に存続するものについてまでも裁判所が関与しないとすることは、新憲法施行後も違憲状態の残存することを認めることであり、裁判所自ら違憲立法審査権を放棄するものとのそしりを免れないからである。
第五点原判決が戦時補償特別措置法を適用したことは、旧憲法(明治二二年二月一一日制定)第二七条に違反する。
一、仮りに、戦時補償特別措置法が現憲法に違反する旨の主張が許されないとしても次のとおり旧憲法違反であるから同法の適用が許されないことを明らかにする。
二、旧憲法は、財産権の保障については、「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ。公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」(第二七条)と規定しているが、同条にいう「所有権」とは、「所有権を以て代表される財産権一切」の意であり、民法上の所有権のみならず資本主義社会における最も重要な財産権をも含み、新憲法第二九条第一項にいう「財産権」とその意義を異にするものではないと解する。従つて、国に対する私人の債権を、債権者の意思を俟たず国家権力を以て消滅せしめることが、同条第一項にいう「所有権」を侵すものであることは疑う余地がない。
ところで、旧憲法においては、右侵害の許容限度として「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定メル所に依ル」(同法第二七条第二項)とあるのみで、新憲法第二九条第三項の如き正当な補償をなすべき旨の規定を欠く。しかし、前述の如く私有財産権を絶対視する個人主義的自由国家思想に立脚する旧憲法下においては、公益のための処分はただ止むを得ざる限度でのみ承認され、しかもこれに対し正当な補償を為さざる限り許されないものと解すべきこと新憲法におけるよりも見易き道理である。従つて、旧憲法下においても新憲法におけると全く同様に、私有財産権の収用につき損失補償に関する詳細な規定(旧土地収用法明治三三年三月七日法律第二九号)が存在するのであつて、正当な補償を伴わない限り右収用手続を規定する法規自体が旧憲法違反となると信ずる。
三、なお、旧憲法についての違憲審査が問題となる関係上、裁判所は法律が旧憲法に違反するか否かを審査する権限のあることを附言する。
旧憲法施行時代においては、法律が旧憲法に違反するか否かの実質的審査権が裁判所に与えられていなかつたとしても、これがため違憲の法律が有効となつたものと解すべきでなく、ただ、裁判所がこれに関与することができなかつたというに留る。その後新憲法が制定され、裁判所は広く法律の有効無効を決定する実質的審査権を与えられた(同法第八一条)のであるが、同条にいわゆる「憲法」とは新憲法を意味することはいうまでもないが、同条は、広く裁判所に法律命令等が更に高次の法規範に適合するものであるか否かを判断する実質的審査権を与えたものと解すべく、若し旧憲法下において制定施行された法律に基く法律関係が、現に訴訟の対象となり、その前提として旧憲法下の法律が旧憲法に適合するかどうかが問題となつた場合には、現在の新憲法下の裁判所は、右問題につき判断する権限を有するものと解しうるから、本訴訟においては、旧憲法違反の主張を為し得るものである。
以上